FJK―7月20日深夜

 都心の夜景を一望できる、高級ホテルの最上階スイートルーム。分厚いカーテンが下界の喧騒を完全に遮断し、部屋には静寂と、数時間前の情事の後の甘い熱気が漂っていた。
 キングサイズのベッドの上、僅かに赤い染みのついた乱れた純白のシーツには雪野まゆの華奢な体が沈んでいる。

「はあ、ぁ……ノア、さん……」

 まゆは、隣に横たわるノアの胸に頬を寄せ、彼の体温を貪るように抱きついていた。身体中が痛い。けれども、それ以上に満たされていた。

 初めてのセックス。それは、まゆが想像していたような暴力的な痛みや屈辱とは無縁のものだった。ノアは時間をかけ、まゆが五月と六月に準備してきた身体を丁寧に解きほぐし、溶かしたバターのようにトロトロになってから、ゆっくりと彼自身を受け入れさせた。

 裂けるような痛みはあった。でも彼が深いところまで満ちてきた瞬間、まゆは感じたのだ。
――ああ、ようやく埋まった
 心に空いていた風穴も、誰にも必要とされなかった空虚な身体も、すべて彼によって塞がれた。私はもう空っぽじゃない。ノアさんのものになれた。

「痛かったかい? まゆちゃん」

 ノアの長い指が、まゆの汗ばんだ前髪を優しく梳く。その手つきは、壊れ物を扱うように慎重で、甘やかだった。

「ううん、幸せ……私、すごく幸せ……」
 まゆは潤んだ瞳で彼を見上げ、夢見心地で答えた。

 嘘ではなかった。学校の期末試験も、クラスでの孤独も、今のこの温もりに比べれば塵のようなものだった。
――この人の腕の中にいれば、私はお姫様でいられる……もっと綺麗になれる

「いい子だ。まゆちゃんの中は、とても温かくて、吸い付くような名器だったよ。初めてとは思えないくらいにね」

 ノアの唇が、まゆの額、まぶた、そして赤く腫れた唇へと落とされる。甘いキス。まゆは蕩けた脳みそで、彼にすがりついた。

「私、ノアさんのためなら何でもできます。学校も辞めろって言われたら辞めるし、死ねって言われたら死ねます。……だから、これで終わりにしないでください」

 その言葉は、媚びではなく、彼女の魂からの叫びだった。
――ノアさんのいない世界に戻るのが怖い
 この極彩色の幸福を知ってしまった今、あの灰色の日常に戻るくらいなら、ここから飛び降りたほうが遥かにマシだった。

 その言葉を聞いた瞬間、まゆを撫でるノアの手が止まった。身を起こし、サイドテーブルに置いてあったスマートフォンを手に取る。画面の光が、薄暗い部屋の中で彼の整った横顔を青白く照らした。

「……今のまゆちゃんは素晴らしい。僕の想像以上の逸材だった」

 ノアはスマホを持ったまま、ベッドの上のまゆを見下ろした。その瞳は、恋人に向ける熱情とは少し違う、もっと冷徹で、かつ深い執着を帯びた光を宿していた。

「けれど、まゆちゃんはまだ羽化したばかりのアゲハ蝶だ。このまま当てもなくふらふらと飛び回ったら、あっと言う間に蜘蛛に捕まったり、甘い花の蜜が見つからなくて死んでしまうだろう。違うかい?まゆちゃん」
「ううん、違わない、その通りです」
「そうだよね……僕はまゆちゃんを、ただの遊び相手や、普通の恋人として消費したくない。僕の指導の下で、もっともっと美しい蝶、幻のアゲハ蝶に進化して欲しいんだ。そして、そうなったまゆちゃんを、僕が描く絵画の中に、永遠に繋ぎとめておきたい。きっと、僕の最高傑作になると思う……いや、間違いなくそうなる」

――ノアさんの、最高傑作
 その言葉の響きに、まゆの胸が高鳴った。恋人よりも、もっと重い、永遠の関係。

 ノアの話は続く。

「まゆちゃん、学校の成績はどうだい?期末試験は散々だったようだけれど、これから先は上位を目指していけそうかな? じっくり考えてみて」
 まゆはすぐに首を振った。
「ううん、考えるまでもありません……わたしにはレベルが高すぎるもの」
「やはりそうか……それなら学校とは別の、価値観が全く異なる世界で、ナンバー1を目指してみないか、僕と二人で?」

 ノアさんと二人。学校とは異なる世界。ナンバー1。この3つがまゆの心の琴線に触れた。

「……面白そう、でも、わたしなんかがナンバー1になれるのかな?」
「実は、芸術家や職人タイプの意識の高い仲間達だけが所属している、秘密の特別な世界があるんだ。僕の見立てでは、まゆちゃんなら間違いなく上位を目指せるし、ナンバー1だって夢じゃない」
「ノアさんと二人で、だよね?」
「もちろん、それは絶対条件だ。でも、それだけじゃない。そこは厳しい世界だ。学校の成績や、世間一般の常識なんて通用しないのはもちろん、普通の女子高生としての幸せも、捨てなくてはならなくなるかもしれないんだ」

 ノアは静かに言葉を紡ぐ。まゆにはノアが自分にどうして欲しいのか、その言葉からはよくわからなかった。自分をその道に進めようとしているようにも、引き留めようとしているようにも感じられた。

「ノアさんは、わたしにどうして欲しいの? ノアさんに従うわ、きっとそれが正しいもの」
しかしノアはまゆに告げた。
「まゆちゃんの意志で決めてほしい。普通の女子高生として生活するか。それとも、僕の指導と支援の下で、より美しい蝶となって、その世界でナンバー1を目指すか」

 まゆにとって、そんな二択など、あってないようなものだった。普通の女子高生生活に戻る?ノアさんのいない、みんな仲良しのふりをしている、息の詰まる、灰色の生活へ? そんなの無理。それより、もっともっと綺麗になりたい。ようやく努力の成果が表れてきたところなんだもの。その先の自分を見てみたい。

「ノアさんに導かれて、もっと美しくなりたいです。ノアさんと一緒に、その世界でナンバー1を目指します」

 まゆはシーツを握りしめ、必死に訴えた。迷いはなかった。

「私には、ノアさんしかいないから……わたしを、ノアさんの最高傑作にしてください。わたしというキャンバスをもっともっと好きな色で塗ってください」

 まゆは、自分自身を彼に差し出した。心も、体も、未来も。それを「愛」と呼ぶのか、「依存」と呼ぶのか、今のまゆには区別がつかなかった。ただ、彼に必要とされたかった。それだけが彼女の存在理由だったから。

「いい子だ」

 ノアは満足げに微笑み、スマホの画面を操作した。いくつかの入力を済ませると、彼はその端末をまゆの目の前に差し出した。黒い背景に、洗練された白い文字が並ぶ入力フォーム。そこにはすでに、Agehaというまゆのハンドルネームやスリーサイズ、そして肉体――先ほど、情事の終わりに眠りに落ちたまゆをノアが撮影した、幸せそうな表情の写真――がアップロードされていた。

「最後はまゆちゃんが押すんだ。これが、まゆちゃんの参加手続きだよ」

 画面の下部には、『REGISTER(登録)』と書かれたシンプルなボタンがある。まゆは震える人差し指を伸ばした。これを押せば、もう戻れない気がした。
 でもこのボタンの向こうに、ノアとの永遠がある。まゆは息を止め、そのボタンを、トン、とタップした。そして表示された画面をみて息を呑んだ。

【JK/Pet-Rank】
[Assessment Result]
Pet ID: Ageha
Status:容姿C・感度D・技術D・愛情D・勤勉C・個性B
Current Ranking:ー位 / 1,205人中
Asset Value]:¥ー
(Judgment Impossible)

「え……? 何ですか、これ?」
混乱するまゆに、ノアは優しくキスをした。

「男性がペットのように可愛がっている女子高生を登録して、ランキングを競っている裏サイト。評価はSABCDの順でSが最高。評価は詳細なレポートを送ることで事務局が厳正に判断する。それに伴って順位や金額価値も定められるんだ。これからのまゆちゃんの目標は、まず6項目のレーダーチャートをオールSの正六角形にすること。それと連動して順位でナンバー1を獲得することになったんだ」

「ペット……わたしはやっぱりペットなんですね……恋人じゃなくて」
「ペットじゃなくてPet。英語には『お気に入り(の女の子)』という意味もあるんだよ。それに厳密に恋人にすると参加者が減ってしまうから、そこを曖昧にする意味でこうなっているだけさ」

「ふーん、ノアさんはわたしのこと愛してるの?」
「ああ、愛してる」

「それならいいや……わたしはこれからオールSを目指して頑張ればいいの?」
「そのとおり。Sランクになれば、まゆちゃんは誰よりも愛される、至高の存在になれる。学校の同級生なんか目じゃない。僕がまゆちゃんに教え込み、まゆちゃんがそれを吸収し、ランクを上げていく。二人で、最高の景色を見に行こう。ね、ワクワクするだろう?」

 ノアの甘い囁きに、まゆの混乱は次第に前向きな意識へとすり替えられていく。

――よかった、これからもノアさんに教えてもらえるんだ
――オール「S」に変えることが、ノアさんへの愛の証明なんだ
――その結果、ナンバー1になることが、自分の存在価値の証

「……わたし、頑張ります!ノアさんのために、自分のために、一番になります!」

 まゆは、画面の中の見慣れない通知表を見つめながら、うっとりと頷いた。窓の外では、七月の夜空が明るさを増しつつあった。

 こうして、雪野まゆの『堕落の通知表』サイトによる評価が開始された。このサイトはまゆの競争意識を煽って激しい調教を進んで受けさせるためにノアがふと思いついて立ち上げた、架空のものであることなど、まゆには想像すらつかなかった。

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