渇きの彫像

 場所は、都内某所のSMホテル。
 重厚な防音扉が閉ざされたその部屋は、手術室のような冷たさと、革の匂いが充満する異質な空間だった。

「……ん、ぐ、うぅ……っ!!」

 私は今、部屋の中央にある処置台のような椅子に固定されていた。
 手首と足首は分厚い革の拘束具で椅子に縛り付けられ、身じろぎ一つできない。
 だが、今の私にとって最大の苦痛であり、同時に最大の屈辱であるのは、口元に嵌められた器具だった。

 開口器(スパイダーギャグ)。

 金属製のフレームが私の顎を強制的に押し広げ、中央のリングが唇を円形に固定している。
「閉じる」という、人間にとって当たり前の機能が物理的に奪われていた。
 私の口は今、だらしなくぽっかりと開いたまま、中身をすべてさらけ出している。

「いい眺めだ」

 マスターは、私の正面にあるソファに座り、ワイングラスを傾けながら、まるで美術館の彫像を鑑賞するように私を見ていた。
 彼は私に触れない。
 指一本、触れてくれない。
 ただ、大きく開かれた私の口腔内――喉の奥の震えや、行き場をなくした舌の動きを、無遠慮に観察しているだけだ。

(閉じたい……恥ずかしい……!)

 顎の筋肉が悲鳴を上げている。
  唾液を飲み込むことすらままならない。
 嚥下できない唾液が、口の端から溢れ出し、リングを伝って顎へ、そして剥き出しの首筋へと糸を引いて滴り落ちる。
 ジュル、と泡立つ音が自分の耳に響くのが耐え難い。

 普段、大学で論理的な議論を交わしている私の口。
 それが今は、涎を垂れ流すだけの「穴」に成り下がっている。
  鏡がなくてもわかる。
 今の私は、知性のかけらもない、あまりにも間抜けで卑猥な顔をしているはずだ。

(マスター、お願い。早く……早く埋めて)

 この放置は拷問だった。
  器具によって広げられた空洞が、スースーと冷たい空気に晒されて乾いていく。
  その乾燥が、猛烈な「渇き」となって私を襲う。

  埋めてほしい。
 あの熱いもので、この空虚な穴を塞いでほしい。
 そうすれば、この顎の痛みも、涎を垂らす恥ずかしさも、すべて奉仕という喜びに変わるのに。

「まだだ」

 私の懇願するような目線を読み取ったのか、マスターは冷たく言い放ち、スマホに視線を落とした。 「お前はそこで、自分の無様な姿を反省していろ。涎まみれのその穴が、何を欲しがっているのか、たっぷりと自覚するんだな」

「ぁ……ぅ……ぐ……」

 言葉にならない呻き声が漏れる。
  放置される時間が長引けば長引くほど、私の思考は単純化されていく。
 私は環じゃない。  
 私は人間じゃない。
 私は、マスターが気が向いた時に使うための、固定された「備品」だ。
 その認識が、冷え切った身体の芯を、じりじりと熱く焦がし始めていた。

「さて、鑑賞時間は終わりだ」

 マスターがグラスを置き、私の前に立った。
 待っていた、という安堵は一瞬で恐怖に変わる。
  逃げ場はない。
 私の手足は革ベルトで椅子に拘束され、口は金属のフレームで限界まで大きく開かれている。

「あ、ぐ……ぅ、ぅ……」

 言葉は形にならず、ただの空気の漏れる音になる。
 彼がゆっくりと腰を沈め、私の目前まで迫る。
  普段なら唇で優しく包み込むことができるのに、今の私には「唇を閉じる」という権利がない。
  円形の金属リングが邪魔をして、私は自分の意志で彼に触れることすら許されないのだ。

 ズブリ。
 無慈悲に侵入してきた熱源が、乾いた口腔内を蹂躙する。

「んぐっ、ご……ぉ!」

 金属と肉が擦れる異質な音が、頭蓋骨に響く。
  顎が外れそうな痛みに耐えながら、私は必死に舌を動かそうとした。
 しかし、固定された顎では可動域が狭すぎる。
 私はテクニックを駆使する優等生ではなく、ただ突き入れられるだけの「穴」だった。

 彼が腰を動かすたびに、私の意思とは無関係に喉奥が突かれ、えずく。
 涙が滲み、鼻水が垂れる。
 開いたままの口からは、大量の唾液が顎を伝って胸元を汚していく。

(汚い、苦しい……でも、もっと……!)

 その時だった。 何の予告もなく、彼が最奥まで一気に突き入れ、白濁した熱を放ったのは。

「――ッ!!??」

「ご褒美」だ。
 飲まなければ。 条件反射で喉が動く。
 しかし、開口器で固定された口は嚥下に必要な密閉を作れない。
  飲み込もうとする意志と、構造的な欠陥が衝突する。

「ごふっ、けぇッ、ぁ……!!」

 あふれた。
 受け止めきれなかった大量の白濁が、唾液と共に口の端から盛大にこぼれ落ちる。
 飲み込むどころか、私はそれを気管に入れそうになり、激しく咳き込んで吐き出してしまったのだ。
 私の鎖骨、胸、太腿に、白い飛沫が飛び散る。

「はぁ、はぁ、げほッ……ぁ……」

 最悪だ。
 せっかくの「食事」を粗末にし、その上、マスターの前でこんな汚い姿を晒すなんて。
 私は涙で霞む目で、恐る恐る彼を見上げた。

 そこに慈悲はなかった。
 彼の手には、しなやかな黒い鞭が握られていた。

「汚すなと言ったはずだ」
 ヒュッ。
「あ゛っ!!!」

 鋭い音が響くと同時に、私の無防備な太腿に焼きごてのような激痛が走った。
「う、ぅぅ……ごめ、なさ……ッ」
  謝りたくても、器具のせいで言葉にならない。
  ただ涙を流して首を振るだけの私に、二撃目、三撃目が容赦なく振り下ろされる。

 痛みと羞恥で、頭が真っ白になる。
「せっかくの精を吐き出すとは、いい度胸だ」
  彼は鞭を捨て、私の濡れた顎を掴んで上を向かせた。
「口が閉じられないからこぼす、という言い訳は通用しないぞ」

 彼は冷酷に宣告した。
「入り口が閉まらないなら、もっと奥――胃袋への直通ルートを開発するしかないな」

 その言葉の意味を理解した瞬間、鞭の痛み以上の戦慄が背筋を駆け上がった。
 口(入り口)ではなく、喉(通路)そのものを性器に変える。
 それは、真の意味での人間卒業の宣告だった。

「イラマチオ特訓。覚悟しておけ」

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