第1話:硝子の鳥籠

 カチ、コチ、カチ、コチ。
 リビングに置かれた大きな古時計の音が、私の鼓動よりも大きく響いている気がした。  錦織(にしごおり)家の朝は、いつだって通夜のように静かです。

「あら、深樹(みき)さん。またスープを残して」

 義母の刺すような声に、私はビクリと肩を震わせました。
 顔を上げると、白髪を綺麗に結い上げた義母が、侮蔑と憐憫がない交ぜになった瞳でこちらを見下ろしています。

「申し訳ありません、お義母様。少し胃が重くて……」
「困るわねえ。しっかり栄養を摂ってもらわないと。貴女の体は、もう貴女一人のものじゃないのよ? 次は男の子を産まないと、ご先祖様に顔向けできないでしょう」

 ご先祖様。跡取り。男の子。
 この家に嫁いで3年。私の耳には、もうその言葉しか届いていない気がします。

 私は、錦織深樹。
 この地方都市を牛耳る名家、錦織家の長男の嫁。
 ……いいえ。正確には、高価な家具の一つ。あるいは、跡取りを産むための機能不全の臓器。

 助けを求めるように、私は正面に座る夫、大輝(だいき)に視線を送りました。
 夫はスマホの画面をスクロールすることに夢中で、私のことなど視界に入っていません。

「……大輝さん、あの」
「ああ? なんだよ、朝からうるさいな。俺は忙しいんだ。お袋の言う通りにしておけよ」

 夫は面倒くさそうに吐き捨てると、まだ温かいコーヒーを飲み干して席を立ちました。

 広いダイニング。
 高級な食器。窓の外に広がる手入れされた日本庭園。
 ここは誰もが羨む豪邸。何不自由ない暮らし。

 けれど、ここには酸素がありません。
 私は今日も、見えない真綿で首を絞められながら、作り笑いを貼り付けて一日を始めるのです。

 そんな窒息しそうな日常の中で、彼女……霧島美令(きりしま・みれい)さんと出会ったのは、運命だったのかもしれません。
 場所は、皮肉にも総合病院の産婦人科のロビーでした。

 ――初めて見る人なのに、どこかで見たことがあるような気がする。

 そんな思いを抱きながらチラチラ視線を送っていると、向こうも同じようにこちらを見ていました。
 先に会計を終えたその女性は、私が診察室から出てくると、待っていたように声をかけてきました。

「あの……お姉ちゃん……じゃ、ない、です、よね……?」

 尻つぼみに声が小さくなる彼女の顔を間近で眺めて、私は息を飲みました。
 どこで見たことがあるのか、すぐにわかりました。鏡の中です。
 髪型やメイクが派手で、私とは雰囲気がまるで違うけれど、根本的な顔つきの造作が私に瓜二つでした。

 興味を引かれて話を促すと、彼女には生き別れたお姉さんがいるらしい。私がその人に似ていたため、まさかと思いながらも、一抹の望みを抱いて声をかけてみたとのことでした。

 この時以降、彼女を病院だけでなく近所のスーパーでも見かけるようになり、会釈から挨拶、そして立ち話をする仲になっていきました。

 最近このあたりに引っ越してきたばかりという彼女に、私は地元の情報を教えてあげました。
 すると「是非お礼をさせてください」と誘われ、彼女お勧めのカフェでスイーツをご馳走になることになりました。

 久しぶりの、友人との会話でした。
 大学を卒業してすぐに名家に嫁ぎ、家事と「跡取り作り」のプレッシャーに追われていた私にとって、美令さんとの他愛ないおしゃべりは、砂漠に降る雨のような貴重な時間になっていきました。

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