牝犬の食事+

 その命令は、私が前回の「ご褒美」の味に陶酔している最中に下された。

「環。お前の口は、まだ道具として完璧ではない。ムラがある」
 冷徹な声が、浮かれた私の頭に冷水を浴びせる。

「これから毎日、訓練を行う。場所は大学の空き講義棟のトイレ、または夜の公園の公衆トイレの個室だ」
「毎日……ですか?」
「そうだ。これは講義だと思え。単位を落としたくなければ、遅刻は許さん」

 それは優等生の私にとって、逃れられない新たな時間割となった。
  場所がトイレであることに、最初は抵抗があった。

 けれど、彼の論理は絶対だ。
『排泄場所で食事をする。それが牝犬の作法だ』
 その言葉に、私は奇妙な納得をしてしまった。
 そう、私は人間としての尊厳を捨て、彼の道具として生まれ変わるのだから。

(……お腹が、空いた)

 正午のチャイムが鳴ると同時に、私が感じるのは「昼食」への欲求ではない。
  もっと焦げ付くような、喉の乾きだ。
 私は学食へ向かう友人たちを尻目に、誰もいない旧校舎のトイレへと急ぐ。

 個室のドアが開き、スーツ姿の彼が現れる。
 カチャリ、とベルトのバックルが鳴る音。
 その金属音を聞いた瞬間、私の口の中にじわりと唾液が溢れ出した。

(ああ、条件反射だ)

 生理学の講義で習ったパブロフの犬。
 ベルの音で涎を垂らす実験動物。
 今の私がまさにそれだった。

 便器の蓋に座った彼の足元に跪く。
 床の冷たさも、芳香剤と埃が混じったトイレ特有の臭いも気にならない。
  目の前に、私の主食がある。それだけが重要だった。

「いただきます」

 それは謙遜でも演技でもなく、心からの感謝だった。
 私は夢中で食らいついた。
 午後の講義のことなど頭にない。
 ただ、この熱い管から注がれる栄養を摂取しなければ、私は渇いて死んでしまう。
 そんな強迫観念すら生まれていた。

 夜の訓練は、さらに過酷で、そして甘美だった。 
  薄汚れた公衆トイレ。
 落書きだらけの壁。
 そんな最底辺の場所に、最高に高貴な彼がいる。
 そのコントラストが、私の狂った神経を興奮させた。

「待ちきれない顔だな」
  彼は焦らすように、私の口元を指で弄る。
 「優奈なら、もうとっくにねだっているぞ」
「っ……! お願いします、マスター。私に、食事を!」

 優奈への対抗心すら、今は食欲のスパイスにしかならない。
  私は彼に許しを請い、与えられたものを貪る。

  回数を重ねるごとに、私の舌は味を覚え、喉は嚥下を待ち望むようになっていた。
 美味しい。
 この世のどんな高級料理よりも、彼の生命のエキスだけが、私を満たしてくれる。

 そして決定的な瞬間が訪れた。
 一週間の訓練の総決算となる週末の夜。
 彼はいつもより激しく、私の喉奥を突き上げ、そして大量の白濁を放った。

「――っ、んぐッ!!」
 勢いよく注ぎ込まれる熱量。
 それは食道を通り、空っぽの胃袋へと直撃した。 その瞬間。

 ドクンッ!!

 胃の中で弾けた熱が、電気信号となって全身を駆け巡った。
  クリトリスに触れられてもいない。
 膣に何も挿入されていない。
 なのに、胃袋が満たされたという信号が、脳内で「性的な絶頂」と誤って接続してしまったのだ。

「あ、あ゛っ、イくッ!?」

 飲み下すと同時に、私の腰が大きく跳ねた。
 子宮がキュウと収縮し、目の前が真っ白になる。
  精飲をしただけでイってしまうなんて。生物として、あまりにも壊れている。

「はぁ、あッ、んぅ……っ!」

 痙攣しながらも、私は最後の一滴まで飲み干していた。
 だらしなく涎を垂らし、恍惚とした表情で彼を見上げる。
 今の私には、もう羞恥心なんて欠片も残っていない。

「……飲んだだけでイったか」
 マスターは、完全に壊れた私を見て、満足げに口元を歪めた。
「いいザマだ。どうやら、躾(しつけ)は完了したようだな」

 私は熱に浮かされた頭で、ぼんやりと思った。
(ああ、私はもう、普通の食事じゃ満足できない身体になってしまったんだ)

 それは絶望的な事実のはずなのに、今の私には、最高の勲章のように思えてならなかった。 

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