誓いのキスが交わされた瞬間、胸の奥がズキリと痛み、私は思わずチャペルの祭壇から目を背けた。
純白のタキシードに身を包んだ伊織お義兄様と、ウェディングドレス姿の姉。
祝福の拍手が鳴り響く中、私は一人、喪服のような心持ちで拍手を送っていた。
中学の卒業式の日、制服姿のままお義兄様の一人暮らしのマンションに突撃し、玉砕してから約2か月。 高校生になった今も、お義兄様を想う気持ちは1ミリだって変わっていない。
だって仕方ないじゃない。伊織お義兄様は、私にとっての神様なのだから。
だからお義兄さんじゃなくて、心の中ではお義兄様。
ただのお兄さんなんて、恐れ多くてとても呼べない。
振られるのはわかりきっていた。
お義兄様と私は、誕生日が同じ3月19日。
そこには運命を感じていたけれど、年齢差は9歳もある。
私は未成年の中学生。お義兄様は国立大学医学部を出た研修医。
そして相手の姉・紗香はJ大学で準ミスにも選ばれた、大手広告代理店の華やかなOLだ。
数年前、お義兄様が姉に言い寄られて交際が始まった時は信じられなかった。
お義兄様は自分のことを地味でつまらない男だと卑下していたから、姉のような派手な女性と釣り合うとは思っていなかったはずだ。
けれど、姉の猛アタックで交際は続き、姉が社会人になって年が明けた頃に妊娠が発覚した。
順序は逆になっちゃったけど、運命だと思うの。
姉はそう言って笑っていたけれど、お腹のふくらみが目立つ前に式を挙げるため、すべてが慌ただしく決まった。
そんな状況で、私の告白を受け入れるようならお義兄様じゃない。
理性的な彼が妹のような中学生にYESなんて言うはずがない。
それでも、私は初恋にけじめをつけたかった。
お義兄様は、実の両親や姉よりもずっと、私のことを一人の人間として大事にしてくれた。
他の女子より少し発育が良すぎて、動きが鈍臭い私がいじめられていた時、義兄として学校に乗り込み、憤然と守ってくれたこと。
優秀な姉と比較され、自己嫌悪に陥る私に、読みやすくて深い小説を何冊も貸してくれ、読書という逃げ場所を作ってくれたこと。
生理不順に悩んでいた私に、医師としてピルの服用を提案し、女性の身体を守るための選択だと両親を説得してくれたこと。
――家や学校に居づらいときは、僕の部屋においで。結愛ちゃんの避難所だから
そう言ってくれたあの部屋の匂いを、私は一生忘れないだろう。
卒業式の日であり、二人の誕生日でもあった、あの日。
冷たい雨が降っていた。
「好きです! ずっと、お義兄様が好きでした!」
玄関で靴も脱がずに、濡れた制服のまま叫んだ。
私の真剣な眼差しを受けたお義兄様は、困ったように、とても優しく微笑んで、私の頭に手を置いた。
「ありがとう、結愛ちゃん。その気持ちは嬉しいよ。でも、僕は紗香と結婚して父親になるんだ。これからも、一番仲の良い義兄と義妹でいような」
優しすぎる拒絶だった。
視界が涙で滲み、私は我慢できずにお義兄様の胸に飛び込んだ。
彼は私を突き飛ばすこともなく、嗚咽が止まるまで、ずっとその背中を支えてくれていた。
悲しくて、でも温かくて。あれは間違いなく、人生で一番幸せな失恋だった。
「どうしたの、結愛?」
母親の訝しむ声で我に返った。
式は終わり、参列者たちが披露宴会場へと移動し始めていた。
「ううん、ちょっと感動しちゃって」
私は目元の涙を指でぬぐい、慌てて立ち上がった。
幸せそうに腕を組んで歩く新郎新婦の背中を見つめる。
――さようなら、私の神様
私は明るい笑顔を作ると、両親の後を小走りで追った。
高校に入ったら、彼氏を作ろう。
お義兄様のように優しくて、誠実な彼氏を。
そうして楽しい女子高生ライフを送って、この想いを昔の甘酸っぱい思い出に変えよう。
その時の私は、まだ知らなかった。
神様だと思っていた彼が、愛と絶望の淵で獣に堕ちる未来も。
私が、その獣に自ら身を捧げる共犯者になることも。