(……暗い。ここは……どこかしら?)
鼻をつくのは、湿った黴の臭いと、微かな鉄錆の不快な臭気。目が慣れてくると、そこが石造りの冷たい牢獄なのだと理解できました。
わたくしは手枷と足枷によって、壁に磔にされています。両手は頭上高くへ吊り上げられ、足は屈辱的なほど大きく開かされていました。 身に纏うものは何もありません。豊かな肉付きの太腿も、重力に逆らって張る乳房も、漆黒の闇の中に白磁のように無防備に晒されています。
(嫌ですわ、外してくださいまし……手首が痛みますの……)
身じろぎして鎖を鳴らすと、闇の奥から靴音が響いてきました。 カツ、カツ、と冷徹なリズムを刻んでいます。
現れたのは、あの「男」。残念ながら、 逆光で顔は見えません。でも、その背格好、肩のライン、纏っている空気感に、既視感を覚えます。会ったことがあるような、懐かしいような……。
「――っ!?」
男の右手には、長くしなる、黒革の鞭が握られているのに気がつきました。
問いかける暇もありませんでした。風を切り裂く鋭い音と共に、わたくしの太腿に灼熱が走ります。
「あぐっ……!」
痛い。熱い。 白い肌に、紅いミミズ腫れが一瞬で刻まれました。皮膚が裂け、細胞が悲鳴をあげるような激痛を感じます。男の手は止まらない。幾度となく鞭が唸り、丸みを帯びた尻を、柔らかい乳房を、二の腕を、容赦なく蹂躙していくのです。
(痛い!痛いですの! お許しになって……わたくし、何も悪いことなどしておりませんのに……ッ!)
涙で視界が滲みます。けれども、鞭が振り下ろされるたびに、わたくしの脳裏に奇妙なノイズが走り始めました。痛覚信号が脳に届く直前で、何者かに違う何かに書き換えられていく感覚。
鋭い痛みが「強烈な刺激」へ、男の注視が「どんなわたくしも受け入れてもらえる安堵」へと変質していきます。
(痛いのに……背筋がゾクゾクします。何ですの、これ。お腹の奥が熱くてたまりませんわ……)
男が手を止めました。近づいてきた彼の顔が、一瞬だけ間近になります。 唇の形。冷ややかだが整った鼻梁。見覚えがあります。知っている気がします。それなのに、思考が熱に溶けてお名前が出てきません。
男は何も言わずに、火のついた紅い蝋燭を取り出しました。ドロリと溶けた熱い雫が、わたくしの敏感な内股へと垂らされます。
「あつッ!? ……あぁ……っ」
皮膚が焼ける熱さなのに、喉から漏れたのは悲鳴ではなく、甘い吐息でした。熱い。所有の焼印を押されているようです。それが、たまらなく愛おしいのです。秘部は、鞭で叩かれ、蝋を垂らされるたびに、だらだらと蜜を溢れさせています。床にポタポタと滴る音が、牢獄に卑猥に反響しました。
(わたくしの体、どうかしている……こんなに酷い扱いを受けて、悦んでいるなんて)
男が最後の仕上げとばかりに取り出したのは、電極のついたクリップでした。冷たい金属が、硬く尖った乳首と、あられもなく開かれた核に挟み込まれます。
「待って、それは……」
男の指がスイッチにかかります。その指先の動きすら、ピアノを弾く彼の手つきに重なって見えた気がいたしました。
バチッ――!!
視界が真っ白に弾けました。
「――あ、アァアアアアアッ!?」
言葉にならない絶叫。筋肉が強制的に収縮し、全身が弓なりに反ります。内臓まで焼き尽くすような衝撃。本来なら気絶するほどの苦痛です。
けれども、これまで調教され続けてきたわたくしの書き換えられた脳髄は、それを「致死量の快楽」として処理してしまうのです。
(頭が真っ白になる……あへぇッ! 壊れてしまう、わたくし、痛みでイッてしまいますわぁッ!!)
ガクガクと痙攣する手足。意識が飛び、白目を剥きそうになる寸前、男が耳元で何かを囁いた気がいたしました。その声の響きは、間違いなく――。
*
――ハッ、と目覚めました。
真夏の朝。窓の外では蝉の声が喧しく響いています。わたくしは汗だくのまま、ベッドの上で自分の体を抱きしめて震えていました。肌には傷ひとつありません。鞭の跡も、火傷も、どこにもありません。それでも体の芯には「痛み」という名の残り火が、確かに残っていました。
「っ……!」
カーテンを開けようとして、窓枠のアルミサッシに触れた瞬間。パチッ、と小さな静電気が指先に走りました。
「んぁっ……」
ただの静電気。ほんの少しチクリとしただけ。それなのに、わたくしの膝はガクンと折れ、その場に崩れ落ちてしまいました。股間が、反射的にじわりと濡れます。
(嘘でしょう……静電気だけで……感じてしまいましたわ……)
痛みへの恐怖よりも、体が疼く感覚が勝ちます。わたくしは自分の腕を、爪で強めに引っ掻いてみました。白い肌に赤い線が走ります。 チリッとした痛み。それと同時に、下腹部を襲う甘い痺れ。
その瞬間、脳裏をよぎったのは、夢の中でわたくしを壊した、あの男の横顔。
「……神楽、くん……?」
まさか。そんなはずはありませんわ。でも、あの冷たい眼差しと、ピアノを弾くような指先が、彼と重なって離れないのです。
鏡の中のわたくしは、頬を紅潮させ、潤んだ瞳で自分の引っかき傷を見つめていました。
「……変態、ですわ……」
わたくしはもう、その痛みなしでは満足できない体になってしまったのかもしれません。恐怖と疑惑、そしてそれ以上の期待を胸に、次の夢が楽しみで仕方がない自分が、そこにいました。
