しばらくして気力を振り絞ると、芽美はすぐに拓海の事務所兼住居にタクシーを飛ばして戻った。しかしドアの鍵を開けようとしても芽美が持っている鍵では開かなかった。どうやら他にも鍵がかかっているようだった。
インターホンを鳴らしてもご主人様は出てこない。ドアをどんどん叩いても何の反応もない。
「あなた!ご主人様!拓海ご主人様!」
叫んだところで、声が空しく廊下に響くだけだった。
拓海ご主人様に連絡をとろうとスマホを取り出そうとするが見つからない。ドアの前に座り込んでご主人様の帰宅を待ち続け、深夜0時をまわって諦めて歩いてマンションの自室へ戻る。
室内には拓海と関係があるものが全て無くなっていた。寝室も明るい普通の女の子の部屋のような色合いでまとめられ首輪やセクシーラジェリー、ウェブカメラなどは全て消え去っていた。誕生日プレゼントのダイヤピアスは拓海の住居においたまま。クリピアスも夜のうちにはずされていたようで、今の芽美に唯一残されているのは左尻肉の焼印だけだった。
芽美は呆然として崩れ落ち、捨てられたショックに耐え切れず、声が枯れ涙が枯れるまで号泣し続けた。
その翌日から11月が終わるまで、芽美は毎日拓海の住居兼事務所に通っては朝から晩までドアの前で待ち続けた。
12月に入ると芽美は自室内で一日中ぼぉっとするようになった。ご主人様中心の生活を送っていた芽美にとって、ご主人様のいない生活は耐え難いものだった。
拓海の家事と仕事のサポートをするために保育施設の仕事を辞めたから時間はたっぷりある。
しかし、たくさんいたSNSで繋がった友人達とは今や疎遠になっていた。
美咲や里奈は、二人とも師走にはいって浮かれていた。美咲は結婚の準備、里奈はクリスマスに例の男と子どもづれで海外旅行に行くことになったとか。
孝からも最近連絡が来なくなった。ずっと冷たく接したからクリスマスを一緒に過ごすのは無理だと判断したのだろう。
千佳先輩とも最近は女性会も開いていない。
唯一向こうから連絡が来るのは優斗だけだった。
そんな芽美に、さらに衝撃的な事実が判明した。自分は父母の実の娘ではなく、父の妹の娘だったのだ。それを父母の離婚と一緒に知らされた。経緯はこうだ。
7月に「あなたの娘が吉原で働いている」との匿名のメールが母に届いた。母が密かに興信所を使って調べたところ、確かに毎週店に通っている事実が判明した。それを父に知らせたところ、父は「何かの間違いか、深い事情があるのだろう」と芽美をかばった。そこでいったん矛を収めた母だが、芽美が男と海外旅行に行き仕事を辞めて男と同棲を始めたことを知り、静かにこう離婚を切り出した。
「ずっと我慢してきましたが、あなたがたのような淫らな血筋の人たちとはもう一緒に暮らせません」
芽美は知らなかったが、父は何度か浮気をしたことがあった。また芽美の実の母であり父の妹でもある女性も性的にかなり奔放だったようだ。
過去に何があったのかよくわからないが、父母が結婚した後に父の妹がなにか事件を起こし、金輪際縁を切ることを条件に、彼女の芽美を養子にすることに母が同意した。芽美が養子になって以降、父の妹は音信普通になった。
そして芽美はその家族と帰る家を失った。育った家は母と思っていた血の繋がらない女性のものとなり、父と思っていた叔父は出身地の仙台へ引っ越した。琴美は何度か芽美に連絡をとり会って話をしようとしたが、拓海との刺激的な毎日に没頭していた芽美は後回しにしていた。そんな芽美に愛想をつかしたのか、知らないうちに連絡がとれなくなっていた。
自分にとって絶対の存在である拓海を失い、家族を失い、多くの友人を失い、仕事を失い、帰る場所を失った芽美は、12月中ずっと部屋に引きこもっていた。幸い、お金はあの1500万円があったから食べていくことはできた。
芽美は拓海との思い出に浸り、残された手紙の内容をずっと考え続けた。しかしいくら考えても、どうしたらいいのか答えはでず、身体が動かなかった。
そしてクリスマスを目前に控えた23日、芽美はとうとう千佳に連絡をとった。千佳は会って話をしたいという芽美の要望に、まるで予期していたかのように何も聞かずにあっさり受諾し芽美の部屋にやってくると、芽美にある男の話を一方的にして帰った。
「年が明けたらヨーロッパに転勤するの。各国の支店をまわることになるから日本に戻ってくるのは数年後。その時のあなたがどんな生活をしているか楽しみね」
と玄関先で最後に言い残して。
その夜、芽美は優斗に電話した。
「ねぇ、誘ってくれてたクリスマスパーティ、まだ参加を受け付けているかしら?」
左手薬指に彼氏の形見だと優斗が勘違いしている指輪をしないでパーティ会場に現れた芽美に優斗は積極的に話しかけた。芽美も他の男には目もくれず、優斗だけを見て目が合うたびににっこりと笑い、優斗の話を楽しそうに聞き、パーティを抜け出してダーツバーで二人だけの2次会を楽しみ、タクシーで送ってもらい帰宅した。
大晦日はクラブのカウントダウンパーティに参加し、年が明けるとやはり二人で抜け出して深夜の明治神宮に並んで初詣のお参りをして帰宅した。
その後も毎日のように二人はSNSメッセージを交換しあい、週に2回は会って食事したり遊んだりした。そのとき芽美は「優斗が関西の大学院に行っちゃったら寂しくなるね」とぽつりと口にしては切なそうな表情を見せた。
バレンタイデーには気合の入った手作りチョコをあげて、飲みに行って酔ったふりをして優斗に密着してべたべたと甘えた。
翌週、優斗は「ちょっと早いけどバレンタインチョコのお返し」ということで芽美を呼び出した。緊張したその雰囲気に期待して高級レストランに行くと、食事後に優斗からペアリングをプレゼントされ、こんな告白をされた。
「芽美さん、あなたの優しさに惚れました。好きです、僕と付き合ってください。じっくり考えて欲しいので返事は来週で構いません。OKならそのペアリングを嵌めてきてください。NGなら友達のまま楽しく遊んで別れましょう」
次の週末、芽美は優斗を初めて自室に招待した。「この間の食事のお礼に、私の手料理をご馳走してあげる」と言って。
なぜかスーツ姿でやってきた優斗。芽美の指にペアリングがないのをみて落胆するがすぐにテンションを上げて明るく振舞った。そんな優斗を微笑ましく思う芽美。食後のデザートに優斗が買ってきたケーキを食べおわると、おもむろにペアリングを取り出し左手薬指に嵌めて言った。
「こんなお姉さんでもよければ、よろしくお願いします」
心からの笑顔を浮かべる優斗。
「焦らすなんて酷いよ!」
そう言うと芽美の顔に自分の顔を近づけキスをした。
その夜、芽美の寝室で二人は始めて結ばれ、優斗は童貞を卒業した。
4月になり優斗が関西の大学院に進学すると、芽美も一緒にいき同棲し、無認可保育施設で働きながら家事をこなし、優斗の貧乏学生生活を支えた。
とはいえそれは優斗基準であり、クレジットカードを使えなくなったことと、小遣いが減らされたことはいえ、芽美からすれば親から広い部屋の家賃と普通に暮らせば十分な生活費を与えられている暮らしが貧乏暮らしとはとても思えなかった。
優斗の両親は当初、芽美のことを可愛い息子をたぶらかした性悪女とみていた。
しかし、素行調査をしても他の男とデートするなどの問題行動がいっさいみられず、むしろ優斗の生活を家事と金銭面からしっかり支えていることがわかると、次第に芽美を受け入れた。
そして優斗が博士課程に進学せず、帰京して両親のコネのある大手商社に就職するよう説得を頼んでくるようになり、優斗がそう決意すると芽美への信頼は絶大なものになった。
芽美は説得などしていない、ただ両親からそういう話があったと優斗に伝え、優斗がしたいようにすればいいと言っただけだ。
優斗にとって、大学院での研究は想像とは違っていて面白くなかったらしい。彼がやりたかったのは、自然の中を歩き回り、ひたすら植物を愛でることであり、研究室内で細かな分類作業や論文執筆、教授の手伝いなどに明け暮れることではなかった。
優斗が帰京と就職を決意したのは、芽美が妊娠してしまったことも大きい。芽美は生でしたがる優斗のしたいようにさせていたから、それは時間の問題だった。
芽美の妊娠を知ると子ども好きな優斗は喜び、さっそく親に連絡してパパになるから大学院をやめて東京に戻って結婚と就職すると宣言した。両親は芽美を怒るどころかよくやったと褒め、あれよあれよという間に結婚式の段取りが決まった。
3月に神前式の荘厳な結婚式の後、有名ホテルで大規模な披露宴が両親のお金で開催された。由緒ある名家だけあって次男とはいえ列席者は多かった。
芽美側は少なかったが、父も田舎から上京してきてくれ、美咲や里奈といった親友達に、真理愛や亜理紗といったわけありの知り合い達、関西の保育施設の仕事仲間も上京して参列してくれた。千佳先輩も欧州から駆けつけてくれた。義理の母の参列はなかったが、琴美の姿はあった。
新居は優斗の両親が所有していた武蔵小杉の高層マンションにとりあえず住むことになった。子どもが増えて手狭になったら世田谷区内に一軒家を建ててくれるとか。
優斗からも両親からも子どもはたくさん欲しいといわれていたし、芽美も子どもは好きだったから3人は作りたいと考えていた。
優斗は4月に親のコネで大手商社に入社した。入社が遅かったとはいえ、家柄と大学閥の力と本人の力量、そして海外出張、それもマイナーな国への出張を珍しい植物が見れるからという理由で志願する積極性が買われ出世が見込まれている。義理の両親も優しく、家は高級マンション。
芽美はその8月に女の子を出産した。子どもの名前は『真愛美(まなみ)』。女の子だから芽美の「み」を入れたいという優斗の希望と真実の愛の結晶という意味を込めたいとの芽美の希望とを合体させた名前だ。
こうして拓海がいなくなってから3年近くの月日が流れた。美咲や里奈をはじめ昔からの友人との付き合いも継続している。千佳先輩も帰国して、大手旅行会社を退社して独立する準備を進めている。芽美は幸せだった、このまま淡々と月日が過ぎ、退屈なまま年老いていくのかもしれないと恐怖を感じるほどに。
優斗とつきあって3年目。そろそろ倦怠期に入ろうとしていた。最初に肌を重ねてからしばらくは芽美の身体をサルのように求めてきた優斗。
しかし関西で同棲生活を2年経験し、子どもを授かって結婚し子どもが生まれると、二人の関係は男女から父母へと変わっていった。
また就職すれば学生の甘い恋人関係から、金を稼ぐ役割と家事を行なう役割分担に変わり、次第にセックスの頻度は減っていった。
優斗とのセックスは芽美にとって不快ではないにしても、気持ちがよいと言えるものでもなかった。芽美は感じているふりをして喘ぎもしたが、激しく乱れることは決してなかった。
お尻に傷があって恥ずかしいからと後背位に応じることは絶対にせず、フェラはしても気持ちが悪くなるからと言って口内射精を許すことはなかった。
そんな芽美のことを優斗は自分を愛しているから従順にセックスに応じるが、性的には淡白な女だと思っていた。最初の出会いの時に芽美がオナニーをしていたのは死んだ彼の一周忌で例外的な行動だったと都合よく結論づけて。
大手総合商社に勤めるようになり、芽美が妊娠したことでセックスを節制するようになると、優斗は会社の巨乳でセクシーな派遣OLと浮気をした。優斗は元から巨乳がタイプで性欲が旺盛なことも知っていたから、必ず浮気すると思い注意していた芽美はすぐに気がついた。
それを疑惑として泣きながら義理の両親に話したところ、しっかり調査してくれて浮気が明確になった。芽美は優斗を愛しているからと言って許し、そんな芽美は義理の両親から感謝され橘家での立場は強まった。
現在、優斗が海外出張先で女遊びをしていることも芽美は知っている。なぜ知っているかというと、テアーの立場を利用して現地で優斗に女を密かにあてがっているのが芽美自身だからだ。変な女と遊んで深刻な性病を移されたり、妊娠させたり、犯罪に巻き込まれたら大変だから自衛のためでもあった。
優斗とのセックスで満たされないとき、芽美は香油を一滴胸の谷間に垂らしジムノペディを聴きながらご主人様とのセックスを思い返し、いつか再開して抱かれることを妄想してオナニーし欲求不満を解消した。
そのメールが千佳先輩からの転送されてきたのはそんな時だった。読んですぐ、芽美は夫の優斗に尋ねた。
「あなた、次の海外出張はいつだったかしら?」
「ああ、たしか12月の第4週じゃなかったかな。クリスマスには一緒にいれそうもない、ごめん芽美さん」
優斗は妻のことをさんづけでよぶ。年上だからというより、知り合った頃の上下関係と浮気した後ろめたさからだろう。
「ううん、お仕事だから仕方ないわ。でも寂しいから千佳先輩のところにお泊りしてくるわね」
―クリスマスに会おう、ヘドネー―
そう言いながらメールを消去する芽美の顔には、夫の優斗が見たこともないような期待に溢れた微笑が浮かんでいた。