「姫の瞳に乾杯♪」
カサブランカという有名な映画のセリフを少し変えて囁くと、セバスは私のカクテルグラスに自分のトールグラスを近づけた。
今日は私の25回目の誕生日。彼と知り合ってからは2回目だ。私達がいるのは東京の夜景が眼前に広がるラグジュアリーホテルの一室。セバスが予約してくれた洒落たイタリアンレストランで小一時間ほど前に夕食を済ませた後、同じくセバスが予約してくれたこの素敵なホテルへチェックイン。ルームサービスでお酒とチーズを注文し窓際のイスで寛いでいるところ。
私が飲んでいるのはセバスが選んでくれたヴェルベットキスという甘い名前のカクテルで、2杯目になる。「姫にはこのような甘いカクテルがお似合いですよ」と言って1杯目に選んでくれたのも、名前は忘れたが、カカオリキュールを使ったチョコレートみたいに甘いカクテルだった。
セバスは最初に注文したジントニックをまだちびちびと飲んでいる。それでも、お酒にとても弱いセバスの顔にはもう赤みが差している。そういう私の頬も赤く熱を帯びてきているに違いない。ホテルの素敵な雰囲気。お酒とセバスの甘い囁きへの酔い。そして、これから私がセバスに見せる痴態への恥ずかしさと興奮で。
セバスといっても外国人ではない。純日本人の大人の独身男性で、最初はお互いを名前にさんづけで呼び合っていたのが、あるときから「姫」「セバス」と呼び合うようになった。
ただこれは主に昼間の愛称で、夜には違う愛称で呼び合っている。昼間、映画や小説のお姫様のように上品で清楚に振舞う私に対して、彼は有能執事「セバス」として紳士的に仕え、甘やかし、とても優しく大切にしてくれる。
でも夜が深まり、私があるモノを身につけた時から立場が逆転する。彼は私の本当の姿を知っていて、実際は私の全てが彼に管理されているのだ、心も身体も、行動も性的欲望も。
「姫、そろそろ『門限』が近づいてまいりましたが、今宵はいかがなされますか?」
気がつくと私のグラスは空になっていた。セバスのグラスもさすがにもう氷だけになっている。
時刻は午後9時55分。シンデレラがシンデレラでいられる時刻は深夜0時までだが、私が姫でいられる時刻は午後10時まで。内心、もっと早くてもいいのにと思っているのは内緒なの。彼と目を合わせると、優しく微笑む瞳の奥に、欲望の炎がきらめいている。
私の今日のファッションは、上はハイネックの厚手の白いセーター、下は一般的にはミドル丈のクリーム色のフレアスカートに黒のストッキング。清楚だが誕生日にしては地味かと思い、靴は赤いショートブーツを合わせて、マフラーはピンク、コートも赤を選んでみた。
一般的には、と言ったのは、高身長の私が履くとミドル丈のスカートもミニになってしまうから。セバスはお嬢様ぽいコーディネートを褒めてくれたが、今の彼の頭の中には、すでにもう違う衣装の私がいるにちがいない。
「そうね…夜景がとても素敵だから、もう少し飲みたいような気もするけれど」
もちろんセバスは私の気持ちなんてお見通し。けれどもニヤニヤしたり下品なセリフを吐いたりして、私に不快な思いをさせたり雰囲気を壊したりは決してしないのが良いところ。それどころかこんなセリフで、私が進んで彼の思い通りの行動をとるように誘導してしまう。
「姫、本日は姫の誕生日でございますが、もう少し飲まれたい、ということは、まだ充分に満足なさってはいないのでございますね?」
「ええ、お料理もお酒も美味しかったし、雰囲気も夜景も最高だったわ。薔薇の花束のプレゼントも素敵。ありがとうセバス。でもまだ何か物足りなくてよ?」
「それは大変申し訳ございません。このセバス、誕生日という特別な日に、愛する姫に十分にご満足いただけなかった我が無能を恥じるばかりでございます。
しかしながら、まだ姫の誕生日は終わっってはおりません。姫、これまでの私の忠節に免じて、名誉挽回のチャンスをお与えくださいませ。必ずや姫を満足させてみせましょう!」
「いいでしょう、セバス。では、お花を摘みに行ってまいります。その間に名誉挽回の準備をしておくように」
「かしこまりました、姫!」
予定調和の会話を終えると私は着替えの入った大きなバッグを持ってバスルームに向かう。
『姫』としての私の時間、『執事』としての彼の時間はもう終わり。用を足すと、そのままいつもの儀式を開始する。
アンダーヘアをチェックし剃り残しがないことを確かめると、全身を清めるためにシャワーを浴びる。ただ洗うのではない。彼に磨き上げられた肌の質感を最大限に引き出すための作業だ。肘や膝、そしてヒップの付け根。男性の指先が触れやすい場所は、スクラブで念入りに角質を落とす。
指先で自分の肌をなぞり、一切のざらつきがないことを確かめる。彼が私を愛でるときに指の滑りを一瞬たりとも邪魔したくないという、私なりの献身だ。
冷たい水で全身を引き締める。毛穴のひとつひとつが緊張し、肌にピンとしたハリが戻るのを実感する。
浴室を出て大きな姿見の前に立つ。鏡の中には、日本人にしては大柄でグラマラスな女が立っている。バストは下品なほど大きく、ヒップも引けをとらない超安産型で、太腿もムッチリという形容がふさわしい太さ。両耳には小さな赤いピアスが光り、手足の爪は薄紫色のネイルで彩られている。
学生の頃の私は自分の体重とバスト、それに身長が日本の平均的な女の子を大きく上回ることに大きなコンプレックスがあった。男性に胸からお尻をぶしつけな目でじろじろ見られ、最後に顔を見てがっかりされる、そんな毎日だった。
過去に体目当てのダメ男としか付き合ってこなかったのも、そうした自己評価の低さが原因だったのだろう。
セバスはこんな私に、知り合ってすぐの頃から何度もこんな風に言ってくれた。
「素晴らしい体つきでございますよ、姫は!身長に比例した長い手足をお持ちですから、もう少しウエストを引き締めるだけでアメリカの男性向け雑誌PLAYBOYの『Playmate of the Year』に選ばれるくらい、世界一セクシーな女性になられますよ!」
「日本人離れした凄いスタイルと、西洋人風の彫りの深い貴族的なルックスをお持ちの姫には、媚を売るような弱々しい笑顔は似合いません。姫にぶしつけな視線を送る下種な男たちや姫を馬鹿にする下品な女たちを、自信たっぷりの勝気な笑顔で睨み返して下さいませ!」
「私は今の姫も大好きでございますが、もっともっと魅力的になって、もっともっと姫に夢中にさせてくださいませ!」
こんな風に言われたら、普通の女なら、間違いなく体目当のお世辞と思うのではないか。しかし、丸々2年間、ダメ男に都合のいい女として扱われ、別れを告げたばかりの弱った私の心には、至極真面目に何度も訴えてくる彼の言葉が心地よく染み込んできたのだ。たまたま相性が良い相手にめぐり合っただけ、ただの偶然。でも私には運命的な出会いだった。
彼の言葉に乗せられ、炭水化物の多い食事からたんぱく質や野菜の多い食事に変えた。万歩計を持ち歩いて毎日1万歩を目標に歩いた。睡眠をしっかりとるようマットレスを買いかえて就寝前のスマホをやめた。ストレスが溜まったら、愚痴ったり過食に走るのを止め、運動して解消した。意識して常に背筋を伸ばして歩き、強気な笑顔を振りまいた。セバスはそんな私を温かく見守り、女として大事にしてくれた。
するといつの間にか腰がくびれ体重が減り、バラバラな存在感を放っていた胸・お尻・脚それぞれのパーツがバランスよく調和して、メリハリのきいた美しいプロポーションを形成していた。
今の私は自分のルックスにも自信を持てるようになった。勝気な笑みを浮かべる自分に痴漢も近寄らず、職場での陰口も聞こえてこなくなった。
そんな私に会うたびに、最近のセバスはこんなセリフを繰り返す。
「今日もとても綺麗でセクシーでございます、姫」
「姫は世界一魅力的な女性になられましたね」
「セバスはもう姫に夢中でございます」
「セバスを姫に一生尽くさせてくださいませ」
最後のセリフは私と結婚したいっていうことなのかしら…?最近とみに増えたこの発言に、甘い未来を期待しながら鏡の前で、赤紫のルージュを引く。
紅筆を使って唇の山の形を左右対称に、本来のラインよりオーバー気味に描く。私の勝気なルックスに相応しい、意志の強い口元の完成だ。上下の唇を軽く合わせて馴染ませる。色ムラがなく、内側から滲むような血色と艶が宿った。鏡の中の自分が挑発的に微笑んだ。
今夜の髪型はどうしようかしら?
思案しながら、緩くウェーブのかかった長い黒髪をまとめ上げる。彼が私の「うなじ」を好んでいるのを知っているから、一筋の乱れも許さない。
両腕を高く上げ、首筋の産毛までを掬い取るようにしてトップで夜会巻きにする。脇が大きく開き、バストがさらに強調されるこのポーズは鏡の中の自分を見つめるだけでも気恥ずかしい。
数本のピンを口に咥えて手探りで髪を固定していく。指先に全神経を集中させ、後頭部の曲線が最も美しく見える位置を探り当てる。
最後の一本を差し込み、頭を軽く振ってもびくともしないことを確認すると、剥き出しになった項(うなじ)が、夜の冷気に晒されて小さく粟立った。
……今日は“正装”するようにとの御命令だったわね。
黒革のビスチェを手に取る。ずっしりとした革の重みを掌に感じる。慎重に身体を滑り込ませると冷ややかな裏地が肌に触れて、一瞬だけ背筋が震える。
指先でフロントのホックを一つずつ掛けていく。厚みのあるレザーは容易には寄らない。指先に力を込めると、爪の先が革の銀面にわずかに食い込む。
最後の一節を留めると、ビスチェは容赦なく私の肋骨を締め上げ、豊かすぎるバストを上方へと力強く淫らに押し上げた。バストトップがレザーの縁から溢れ出し、剥き出しになった肌が、冬の夜のわずかに冷えた室温を敏感に捉えた。
薄紫の小さな鈴を手に取る。親指と人差し指でつまんだ鈴は、体温を吸っていないせいか、驚くほど冷たい。それを、彼の教え通りに自分の乳首へと宛がう。金属の冷たさが柔らかな突起に触れた瞬間、意識せずとも先端が硬く色を濃くしていくのが分かった。
指先を慎重に動かして固定する。動くたびに耳元でチリンと、鼓膜を直接撫でるような澄んだ音が響く。
鍵つきの大きな紅い首輪も大事な装い。厚手の本革は使い込まれてしなやかになっており、首に巻くと、独特の獣の匂いとムスクの香りが混じり合った、慣れた匂いが鼻腔を突く。
カチリ。金属が噛み合う重い音が、顎のすぐ下で鳴る。
その重みを首に感じた瞬間、私の「指先」から力が抜け、意志を司る脳のスイッチが静かに切り替わった。そのとき、ようやく私は「責任から解放された」と確信できるのだ。
前後にファスナー付きの黒のきわどいホットパンツを履く。黒の薔薇模様のガーターストッキングをビスチェのガーターベルトに繋ぐ。黒絹のロンググローブを嵌める。彼からもらった麝香の
左手薬指に『O』の意匠のスレイブリングを差し込んで完成。。この指輪が指の付け根に収まった瞬間、私の意識は「姫」から、彼の所有物(どれい)へと鮮やかに切り替わる。
顎を引き、背筋を伸ばし、鏡の中の淫らな姿を見据える。赤紫の唇の艶、赤い首輪の革の光沢、ビスチェから溢れる肉の柔らかな曲線……。
よし、完璧。彼が望んだ通りの、そして彼が丹精込めて磨き上げてくれた通りの「女」がそこにいた。
自分の姿に陶酔を覚えながら、ゆっくりと瞳を閉じて深く呼吸。自分の中に残っている「昼間の残滓(ざんし)」をすべて吐き出す。
目を開けると、鏡には扇情的なコスチュームに身を包み、陶然と微笑む淫魔が映っていた。自分でも見蕩れていると、手を叩く音が聞こえてハッとする。いけない、早く行かなくては!
バスルームの扉を開ける。裸足の足裏が、リビングの深い毛足の絨毯に沈み込む。一歩踏み出すたびに、足首のムスクが体温でふわりと立ち上がる。
月明かりの中に座る彼の姿を捉えた瞬間、私の足の指は無意識に絨毯をぎゅっと掴んでいた。乳首の鈴をチリンチリンと鳴らしながら、私は彼のもとへ急ぐ。
グラス類は片付けられ、室温は先ほどより暖かくされている気遣いが嬉しい。小さな音でジャズのBGMが流れている。部屋の電気は消されているが、大きな窓から月明かりが室内に差し込んでいて、彼が窓際にガウンを着て座っているのがよく見える。ふふ、今夜も私の“正装”姿に凄く興奮してるみたい。
男の目の前で立ち止まる。正座をし、腕を後ろで組んで視線を絡ませると、もうすっかり覚え込んでしまった挨拶を、艶めく声で口にする。
「ご主人様、今宵も『O(オー)』をお好きなように調教してくださいませ。この淫らなカラダでご奉仕し、自由にお使いいただき、気持ち良く射精していただくことが、『O(オー)』の心からの幸せでございます」
ガウンをはだけ、ご主人様のペニスにチュッと軽くキス。悦びに身体が小さく震え乳首の鈴の音がチリンと響く。
ご主人様が選んでくださったセックス奴隷の衣装をまとい、ご主人様に仕込まれた作法で、ご主人様に考えていただいた挨拶を口にする。それだけで私の理性は蕩け、頭の中は霞がかって秘所から蜜をとろりと垂らす。自分が彼のセックス奴隷であることを身体で覚えてしまっている証拠。
左手薬指の指輪は、映画「histoire d’O」でメインヒロインO(オー)役のコリーヌ・クレリーに与えられたのと同じ、Oのデザインをあしらったスレイブリング。本名の頭文字もOだから私にぴったりだと思う。ご主人様に勧められ、この映画を見て妖しい胸の高鳴りを覚えたときから、こうなることは決まってしまっていたのだろう。
私は彼のセックス奴隷「O(オー)」。これが私の本当の姿。肉体コンプレックスを解消して自信に変えてくれたこの男に全てを委ね、性欲処理の道具としてあらゆる欲求にお応えすることが、夜の私の大事なお務め。
愛するご主人様にたっぷり愛を注がれて、今夜も私はとても幸せになる。