6月8日(水)の夜、普通なら拓海と自宅で楽しく過ごしているはずの芽美は、三ノ輪駅からとぼとぼと目的地へと歩いている。後ろ向きな気分を反映して、その足取りは重かった。というのは、向かっているのが吉原の高級ソープ店だからである。
なぜか。そのわけは先週1日の水曜日まで遡る。
芽美は御徒町駅近くの老舗とんかつ屋で拓海に夕飯をご馳走してもらった後、タクシーに乗せられた。「吉原」と行き先を告げる拓海の声を聞いて動揺する。吉原がソープ街であり、そこで女が浴室で本番行為を含む性的なサービスをしていることを、耳年増の芽美は知っていた。
―私にソープ嬢になって働けっていうのかしら?-
そんな疑念を感じたが、タクシーの車内でそんな話を運転手に聞かれたくなかったから黙っていた。
初老男性の運転手がバックミラーでチラリと芽美を見た。その初々しい様子は新人ソープ嬢だな、今度俺が買ってやるよ、とでも言っているような好色そうな視線だった。
芽美は不安にかられて窓の外の街の景色をきょろきょろ眺めていたが、恥ずかしくなってうつむき、到着するまでずっと下を向いたままでいた。拓海はずっと黙ったままで、そんな芽美の様子を面白そうに眺めていた。
「ここでいい」
歓楽街の入り口で降りると拓海は芽美の手を引いて歩き出す。
「どういうつもりですかご主人様?・・・私をここで・・・?」
芽美が下を向いたまま語尾を濁して尋ねると、拓海は笑って返答する。
「ここでお前を働かせるつもりはないから安心しろ。堂々と顔を上げて、社会勉強だと思って周囲をよく見てみたらどうだ?そんなふうにオドオドしていると、スカウトされてきたばかりの新人ソープ嬢と誤解されるぞ?」
―よかったぁ―
芽美はほっとして周囲を見回す。ネオンこそギラギラと明るいが、客引きのような蝶ネクタイ姿の男やタバコを吸っている運転手の姿を多く見かけるだけで人通りは少ない。歩いているのも普段着ぽい服を着た中高年男性がちらほらいるだけだ。
「なんだか想像と違うかも、思ったより・・・」
「活気がない、か?」
「うん、もっとガヤガヤしていて、なんというか、欲望で目をギラギラさせた男の人たちでいっぱいなのかと思ってました」
「まあ飲み屋街とは違うさ。交通の便の悪い場所だから車を使う客が多いし、景気低迷でお客さんそのものが随分減っているらしいしな。バブル景気の頃など昔は凄かったらしいが」
「ふーん、それはそうと、私たちはいったいどこへ向かっているの?」
「そんな中でも繁盛している超高級店『 Ω(オメガ)』だよ」
「Ω」はギリシャ文字の最後の配列であることから最終・究極の意味で使われることが多く、また小文字は数学で未知数の意味で使われたりもする。バブル景気崩壊後に潰れかけた店を引き継いだ現経営者が、今までにない未知の快楽を提供し、お客様から究極のお店と認めていだだけるようにという願いをこめてリニューアルオープンの時にこう命名した。
その裏には“経営的に最後の挑戦”という意味もあり、近隣店舗の多くが大衆化路線へ向かう中、流れに逆行して排水の陣で超高級路線へ大きく舵を切った。
素晴らしいルックス・スタイルに加えて一流のサービステクニックと礼儀作法を心得た嬢を高給でそろえた。サービス時間は150分の長いコース1本だけ。マット等のソープならではのプレイを含むプロのセックス技術を堪能していただくだけでなく、プレイ前後の会話にも重きを置いた。そうした嬢を少数しか集められずに予約がとりにくい店となるのは覚悟の上だった。
内装は“皇帝の隠れ家”をコンセプトに贅沢にお金をかけ、調度品等にも一流品を使用し、非日常的な高級感を演出した。
集客は一元さんお断りで会員からの紹介制とし、インターネットが普及してもWEBサイトでのPRはいっさい行なわなかった。
お客様の秘密を厳守するため、予約は支配人への電話のみ。来店されたお客様が支配人と嬢以外の人間に見られることがないよう、出入り口を複数用意し、店内も複数のルートを用意した。支払いも記録が残らぬよう現金のみとした。
高水準のサービスと店内。宣伝のない秘密めいた雰囲気。一元さんお断りな上に予約がなかなかとれない敷居の高さ。そしてなにより、お客様のプライベートを徹底的に守るところが評判となり、大成功を収めて今にいたる。
そんな話を聞かされながら歩いてきた芽美がたどり着いたその店は、建物こそ大きめだったが、超高級店という割に大したことのない外観だった。
「改築が法律で規制されているんだよ」
「それはたいへんね」
階段を数段降りた半地下に位置する、シンプルな一枚扉の脇のインターホンを拓海が押すと、「お待ちしておりました拓海様」という男の声が聞こえ、扉が少し内側に開く。
中は風除室。その正面は一面曇りガラスの両開きのオートドアだ。二人でその前に立とドアが左右に開く。その先に、きらびやかなシースルーの黒のセクシーなドレスに身を包んだ艶やかな外国人美女が立っていた。その美女はナターシャだった。
気品ある微笑を浮かべて、片足を半歩引き片手を腰にあて背筋をピンと伸ばして立っている長身の姿は、どんな一流モデルにもひけをとらないほどクールにキマっている。女神のような神々しい超然とした美しさと、“傾国の美女”と呼ばれた女達が有していたであろう、一流の男さえも惑わせる妖艶な色気とを併せ持つ彼女を見て、芽美はこう嘆息する。
「彼女に本気になられたら、私なんてかなうわけがないわ」と。
「殿方の究極の夢がかなう官能の館『 Ω(オメガ)』へようこそ」
ナターシャは数え切れないほど繰り返している歓迎のセリフを完璧な日本語で口にすると、すました顔でカーテシーの挨拶をする。そして破顔一笑。深いスリットから長い美脚をさらけ出して拓海に歩み寄り、触れるかどうかの瀬戸際まで近づいて「待ってたワ、ゆっくりしていってネ♡」と艶のある声でささやく。芽美のことはまるで眼中になかった。
芽美は拓海と腕を組んで歩くナターシャの後をついて行く。未だに自分がなぜここにいるのかわからないまま。
ナターシャが二人を連れて行った場所は「カエサルの離宮」と名付けられたプレイルーム。最も広く最も豪華なその部屋は、オメガでナンバー1の人気を博す彼女に最もふさわしい仕事部屋だ。
入り口のドアを開けると更に甲冑が飾られている短い廊下があり、靴を脱いでその先に進むともう一枚黒光りする重厚な扉がある。それを開けると中は、高い天井から巨大なシャンデリアが吊るされ、床にふかふかの絨毯が敷かれた広い部屋。
右側には二振りの大剣が交差して飾られ、壁にはカエサルの肖像画がかかっている。
中央にはガラステーブルとゆったりした黒皮のソファが置かれ、その奥には天蓋付きのキングサイズのベッド、ガラスで仕切られた左側に大理石でできた大きな浴槽と広い洗い場があり、獅子の口からお湯がこんこんと湧き出ている。
居間の壁の色は白で床はごく薄い茶色。ベッドは淡い青系統でまとめられている。BGMにはヴァイオリンと思われる音色が静かに流れている。
ナターシャは、どうしたらいいかわからずに扉近くに呆然と立ち尽くす芽美を置き去りにして拓海をソファに座らせると、その前に三つ指をついて言った。
「今宵もあなたの“恋人”ナータが真心を込めて御奉仕させていただきます。浮世を忘れて時間いっぱい、心ゆくまでお楽しみくださいませ」
そのまま流れるように次のステップに進もうとするナターシャを拓海が苦笑しながら止める。
「そう芽美に意地悪するなよナータ。とりあえずお茶にしよう。芽美も座ってくれ」
と言うと、自分もソファから降りて床に座った。芽美は、ああやっぱり意地悪されていたんだと思いながら、ナターシャと離れた拓海と近い場所に座った。
ナターシャが内線で注文した紅茶を一口飲んだ拓海が芽美のほうを向いて言う。
「実はナターシャの帰国が8月上旬に決まったんだ。当初はもう少し後の予定だったんだが、帰国の諸手続きが彼女の想定より早く進んだらしくてな・・・日本とロシアの差だろう。それなら寒くなる前、夏のうちに帰国することになったんだ」
「ロシアは秋でも、もう十分寒そうですしね」
芽美は強力なライバルがいなくなることにほくそ笑む。それをナターシャに見られたが、彼女は冷たい笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。その理由はすぐに判明する。
「ああ、それでだな芽美。実はお前にもそろそろナターシャの奉仕テクニックを学んでもらうと考えていたところなんだが、そういうわけで時間が無くなってしまってな」
「え?まあ、そうでしょうね」
「仕方ないから、ナターシャの仕事という形にして、ここでお前に伝授してもらうことにしたんだ」
「うん?どういうことですか?」
「具体的に言うとだな」
ひと呼吸おいて拓海が続ける。
「まず、今日これからここで、ナターシャが俺にどのように奉仕するのかを最初から最後まで見学してもらう」
「・・・うん・・・」
「それで来週から毎週水曜日、ここでナターシャの指導を受けながら支配人相手に実践練習」
「え、ええっ?!」
「大丈夫、毎週といっても3回だ。その後にここで俺相手にプレイしてみてナターシャの合格がでれば終了。不合格なら補習ということになるが、基本ができているかどうかをチェックするだけだから、芽美なら大丈夫だと信じている。基本を覚えたらあとは俺相手に実践を重ねて芽美独自の技術に昇華していってくれ」
「いや、そこじゃなくて、支配人相手に実践って、あの、その・・・セックスしなきゃいけないってことですかっ?」
「いや、セックスも、キスも、フェラもしなくていい。お前に学んでもらいたいのはそれ以外の部分だからな、雰囲気づくりから、各行為に至る流れ、身体の洗い方などの。お前は俺専用なのだから、俺以外の男に抱かれることは許さん。よほどの事情がない限りはな」
―俺専用・・・俺以外に抱かれることは許さん・・・―
「そ、そう、それなら・・・・・あ、でも支配人さんの身体に触れたり、その・・・ペニスに触れたり、逆に支配人さんから身体を触られたり、その、無理やりされちゃったりとかは・・・?」
「ここの支配人とは旧知の仲でよく知っているんだよ。他の男を寝取るような男じゃないし、仕事としてやってもらうために金もしっかり払うから、必要でない限りは彼のほうから何かをしてくることはない。そこの線引きがしっかりできないような男がここの仕事を成功させられるわけがないだろう?ナターシャもいるから安心しろ」
「でも・・・身体には・・・触るのね・・・ペニスにも・・・?」
「そこは我慢しろよ、俺も我慢するから」
―俺も我慢する・・・―
「それなら、まあ・・・私も我慢、します」
「すまないなメグ。俺はお前の御奉仕でもっともっと気持ち良くなりたいんだ、だから頼む!」
拓海はそう言い放つと芽美に頭を下げる。
―お前の奉仕でもっと気持ちよくなりたい・・・―
拓海のフレーズのひとつひとつが殺し文句となって芽美の心を揺さぶる。
ナターシャの顔が怖くて見れなかったが、謝罪され、頭を下げてお願いされ、そこまで言われてしまっては断れない。
「・・・わかりましたよ、もう・・・」
芽美はふてくされたような顔をつくって、横をむいてそう返事をする。
「そうか!ありがとうメグ!このお礼は必ずするからな!」
「お礼なんていいですよ・・・あ、でもお金を払うって、それはどうするの?私が教えてもらうのだから私が払ったほうがいいのかな?」
「お前が払う必要はもちろんないさ。そもそもお前がホイホイ簡単に払える金額じゃないぞ?」
「へ~いくらなの?」
拓海が黙って十本の指を順番に全部折った。
「10万円?」
と芽美が言ったところでもう1回。
「20万円?!」
さらにもう1回。
「30万円、てこと~?!」
「そうだ。まあ多くはナターシャの稼ぎになるからな。これでも昔のよしみでディスカウントしてもらってるし、サービスもつけてもらってる。なんと8月中、お前は研修の成果をここで俺に披露することができるんだ!」
「それは素敵だわ、って私が喜ぶことではないような気がするけど、他の人が使ったりしないの?」
「ああ、ナターシャが帰国した後にこの部屋を使う嬢は決まっているんだが、当初秋から後を継ぐ予定だったから、8月は長期休暇を取得して海外旅行や自分磨きに励むスケジュールを組んでしまっているそうだ。部屋の使用権は嬢のヒエラルキーの象徴だから、他の嬢に使わせるわけにもいかなくて、8月はこの部屋が空いてしまうらしい。良い機会だから部屋の改修を行なうが基本的には空いているので、俺に格安料金で使わせてくれることになったのさ」
ここでナターシャが口を挟んできた。
「ですから、メグミにはこの部屋を使う者として合格点をあげられるレベルのテクニックを身につけていただきまス。今日の見学を含めて4回の厳しい講習になりますが、拓海のためだと思って頑張ってくださいネ!」
言葉使いは丁寧だが、挑発的な表情と口調は、どうせあなたには無理でしょうけど、とでも言っているように芽美には感じられた。
―いいわ、その挑戦、受けてあげようじゃないの!―
芽美もまた挑発的な表情を浮かべてナターシャをにらみつけると、表情を明るい笑顔に変えて拓海のほうを向く。
「はじめてくださいっ、ご主人様!」
勇ましくそうお願いしたものの、それからの約2時間は芽美にとって大変辛い時間となった。
「ナターシャの通常の対応をあますところなく再現するために、俺達二人とも、今からお前がこの場にいないものとして振舞う。ナターシャの言動と俺の反応を目を逸らさずに、しっかりと見て目に焼き付けろ。必要なら近くに寄ってきてもかまわない。だが俺達に話しかけたり触れたりはするな」
拓海は持ってこさせたパイプ椅子をソファの近くに設置して芽美に座るよう促し、芽美にこのように指示した。芽美が座って頷くと、宣言どおりに芽美のことを完全に無視し、最初から芽美のことが眼中になかったナターシャと二人だけの世界に入り込んでいった。
ナターシャの三つ指をついての挨拶が再度行なわれ、お酒を飲みながらの軽い世間話→そのままソファでのキス&フェラチオ奉仕→浴室へ移動しマットを使った身体洗いとご奉仕セックス→浴槽に二人で浸かって冷たいドリンクを飲みながら休憩→ベッドへ移動し扇情的な下着を身につけてのご奉仕セックス→浴室での後始末→ソファで最後の休憩と身支度の手伝い→金銭授受と感想聴取→部屋の外のロビーまでご案内し、お別れの挨拶をしてお見送り、といった流れで進んだ。
―ナターシャと私は今は同じ奴隷の立場だし、私のほうが大事にされているわ―
自分にそう言い聞かせても、かつて相思相愛の恋人同士だった二人の息のあった交わりを見続けるのは辛かった。二人は芽美の知らない昔の話をし、お互いの次の動きを察して滑らかに次のステップに進んだ。
お互いの性感帯を知り尽くしているようで、拓海がナターシャを責めれば彼女も負けじとそれ以上に責め返した。芽美相手のときと違い、その攻防に敗北するのは拓海であることが多く、拓海がイクのも芽美相手のときより早かった。ナターシャのテクニックが自分を上回ることは明らかだった。
ナターシャは、いくら責められ感じさせられても、上品な言葉遣いと態度を維持し続けた。乱れたのはベッドの中で絶頂を迎えたときだけだった。お客様である拓海に気持ちよくなっていただくことを最優先して強い意志で自分を抑えていた。
浴場スペースでのプレイは芽美が初めて見るものばかりだった。真ん中に切れ目の入った椅子に拓海を座らせての下半身洗い。全身にボディシャンプーを泡立て自分の体をタオルに見立てて擦り洗い。ヴァギナに拓海の指を一本づつ導きいれての指洗い。プールや海で使う板状の浮き具のようなものの上でローションをたっぷり垂らして全身でヌルヌルとマッサージ。浴槽内での水面から突き出るペニスへのフェラ、しかも胸ではさんで、等々。
ナターシャは芽美よりもずっと身長が高いだけでなくグラマラスで肉付きがよい。その彼女がマットの上で身体をヌルヌルと動くさまは圧巻だった。
―自分の身体で洗ってあげたり、あんなふうに擦り付けてマッサージするのなら、ガリガリだとよくないわね―
ファッション雑誌のモデルやテレビ女優をみてはもっと痩せなきゃと言うと、拓海からいつも、あんな体型より今の芽美ぐらい肉付きがあったほうがいいぞ、と言われていたことを思い出す。それがお世辞ではなく本心だったことがわかりほっとする。
しかし肉付きがいいのはお尻や太腿など。肝心のバストは日本人女性の標準であるCカップで、Gカップのナターシャが実演しているバストを使ったダイナミックな奉仕は困難だ。
自分より遥かに魅力的なボディ。未知のテクニック。拓海への深い理解。強力な自制心。それら全てを有効に活用して、自分が与える以上の快楽を拓海に享受させるナターシャへの圧倒的な敗北感に打ちのめされる。
ナターシャは、ここでは自分が圧倒的強者であることに微塵の疑いも持っていないようで、芽美のことを一瞥さえしない。拓海は拓海でナターシャから与えられる快楽に溺れていて芽美がいることを忘れてしまっているように見える。
もはや限界だった。これ以上見ていられなくなって、その愛らしい瞳を閉ざし、膝の上に涙を落とす。いたたまれなくなった芽美はパイプ椅子から立ち上がってベッドの上の二人に背を向け、静かに去ろうとする。
その背中に拓海の叱責が冷たく刺さる。
「ご主人様の命令に逆らうのか?帰るのは許さん!最後までちゃんと見るんだ、マゾ牝奴隷メグ!俺を失望させるなよ!」
「はい!もうしわけありませんご主人さまっ!ご命令どおりにいたします!」
芽美はハッとしてそう答え、パイプ椅子に座りなおす。それを確認した拓海は再び芽美の存在を忘れたかのようにナターシャとのプレイに没頭する。その様子を芽美は瞬きするのも惜しむように目を見開き、生気を取り戻した表情で最後までじっくりと観察した。
芽美の足を止めたのは、調教が着々と進んでいる牝奴隷への命令が強制力を発揮したからだ。しかし芽美にやる気を持たせたのは最後のひとことだった。
―俺を失望させるなよ・・・裏を返せば、ご主人様が私に期待しているってことだわ!―
ナターシャにあらゆる点で劣っている自分のどこに拓海が期待しているのかわからなかった。しかし芽美はすでに拓海のことを盲目的に信じるようになりつつあった。だからご主人様が自分に期待しているならと頑張ることにした。
なにもしなければ8月になってナターシャが帰国し“不戦敗”になってしまう。それ以降、彼女のことを思い出すたびに卑屈な気分になりそうで、それは避けたかった。
急に元気を取り戻した芽美をナターシャがチラリと見た。たったそれだけのことに芽美は一矢報いた気持ちになった。
帰りのタクシー内で拓海が話しかけても芽美はずっと上の空だった。ナターシャと自分を比較し、拓海が自分に期待している箇所とは何なのか考え続けていたからだ。
タクシーを降りるとき、芽美はきっぱりと拓海にこう告げた。
「ナターシャにはぜったい負けませんから!」
拓海はにっこり笑って芽美が欲しい言葉を口にした。
「期待しているよ、芽美。お前にはナターシャとは違う魅力があるのだから」
帰宅後、芽美は「カエサルの離宮」でナターシャに代わって拓海に奉仕する自分を想像して激しいオナニーに耽り、満足して深い眠りに落ちた。