エピローグ

 三年の月日が流れた。 都心にあるマンションのリビングに、休日の柔らかな日差しがある家族の幸せな日常を照らしている。

「あー! あおくん、それはパパの大事なお仕事道具だよ」
 キッチンから、エプロン姿の紫苑が慌てて顔を出した。 リビングの中央で、二歳になったばかりの長男・蒼(あお)が、長い紐をオモチャにして遊んでいる。 それは、紫苑が丹精込めてなめした、あの「蒼い麻縄」だ。
 かつて母・紗英を吊り上げ、今も母専用となっているその蒼い縄は、同じ名前の小さな子供の手の中で、無邪気な電車ごっこの線路と化している。

「いいじゃない。蒼はその縄が好きなのよね」
 ソファでゆったりと微笑んでいる女性は、妻の紗英。 ハネムーン・ベビーを授かった彼女は出産後、早々に職場復帰を果たした。紫苑から注がれる真っすぐな愛情で心身ともに満ち足りた彼女は、持ち前の有能さを存分に発揮して、今や最年少の課長として部下を束ねている。

 一方、夫の紫苑は妻の出産に備えて早々に会社を辞めた。 今は主夫として家事と育児を一手に引き受けている。その傍らで時々、プロの緊縛師として限られた顧客の依頼をこなしている。かつて「頼りない可愛い部下」だった男は、今や妻の胃袋を掴み、子供を育て、夜は妻の心身を支配する、最強のパートナーとなっている。

「でもなぁ。これ、紗英専用の縄だから。蒼のヨダレがつくと、カビちゃうんだよ」
 紫苑が苦笑しながら、蒼の手から優しく縄を回収する。 蒼が不満そうに声を上げると、紫苑は慣れた手つきで高い高いをしてあやした。
「ごめんな。大きくなったら、蒼にも教えてやるから。……これはね、パパとママを繋いでくれた、とても大切な縄なんだよ」

 きゃっきゃと笑う息子の笑顔は、祖母である紗夜によく似ていた。 鬼灯が「還元」し、紫苑が「再生」させた命は、こうして確かに次の世代へと繋がっている。

「ふふっ。緊縛師の英才教育ね」
 紗英が愛おしそうに目を細め、自身のお腹をそっと撫でた。 ふっくらと膨らんでいるその胎内には、新しい命が宿っていた。

「次は女の子かな」
 紫苑が蒼を抱いたまま紗英の隣に座り、大きなお腹に手を添えた。
「どちらでもいいわ。あなたとの子供なら」
 紗英が紫苑の肩に頭を預ける。  

 紫苑からは、あのバームの香りがした。春の生き生きと育ち始めた草木のような香り。紫苑の香りは紗英を包み込んで心の隙間を埋め尽くす。

「今夜は、久しぶりに縛ってもらって……したいな。お腹を外せば大丈夫でしょう?プロフェッショナルの緊縛師さん?」
「任せておけ!愛するお前の心の穴も身体の穴も、俺が一生満たし続けると誓ったからな」
「うん、ありがとう。愛してる、あなた」

 部屋の隅の、回収された蒼い縄を見つめる。
 それは紗英にとって、家族の絆を結び、守り続けるための、確かな「縁(えにし)」そのものだった。

(完)

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