幸せについてのメモ(改訂版)

 最近、自分が幸せなのかよく自問するようになった。自問するくらいだから幸福ではない気もする一方、欲が深いだけのようにも思う。そこでいちど自分なりの幸福観を文章にしてみることにした。メモ程度であるけれど書くと整理できてよい。

 幸せには「社会的・相対的な幸せ」と「個人的・絶対的な幸せ」の2種類がある。

 前者は社会的な成功や結婚等、一般的に幸せと見なされることを達成しているかどうか。他人と比較可能という意味で、「幸せ偏差値」的な指標で語ることができる。

 後者は自分の理想や目標や趣味嗜好を満たしているか否か。これはさらに動的な幸せと静的な幸せに分けられる。

 「動的な幸せ」とは夢を実現したり試合に勝ったりしたときにドーパミンやエンドルフィン、アドレナリンが放出されるような感情。「静的な幸せ」とは美しい風景を見て感動したり愛する人と安心してのんびり過ごしているときに感じる、セロトニンやオキシトシンが放出されるような感情。友人知人が多いことは幸せに直結しない。惰性や利害関係で繋がっているだけかもしれない。

 幸せとは状態でなく「感情」。例えば、財産がたくさんあるからといって幸せとは限らないし、ないから不幸とも限らない。その状態について、その人自身がどう感じているか。ということ。ただ財産や収入面を含む生活基盤が安定しているほうが幸せを感じやすい。

 心身の健康についても同じことが言える。健康だから幸せ、病気だから不幸とも限らない。ただ心身ともに健康であるほうが幸せを感じやすい。健康と生活基盤の安定は不幸ではないことの前提条件のようなもの。

 いわゆる三大欲求も満たされれば幸せということではない。そもそも性欲は他の二つとは別。セックスしなくても死なないが食事と睡眠はしないと死ぬ。

 十分な栄養が摂れることと良質な睡眠をとれることは健康の前提であり従って幸せの前々提条件。性欲が解消されることはそれ以上でも以下でもない。ストレス発散になるかもしれないが身体だけの関係で不幸を感じることもありがちなこと。愛し合う者同士で行うかどうか。

 食事もただの栄養摂取でなく恋人や家族で美味しい料理を食べるなら幸せと言える。一人で食べるより気の合う二人以上と食べるほうが間違いなく美味しいし楽しい。

 わかりやすい例として、精神科医・樺沢紫苑氏の提唱する学説では、幸せには優先順位がある。
 1.セロトニン的幸福(心身の健康・安定)
 2.オキシトシン的幸福(愛、人とのつながり・安心感)
 3.ドーパミン的幸福(成功・達成・興奮)

 現代人の多くは、1と2を犠牲にして3(成功や金銭)を狙いにいくため、メンタルを病んだり不幸を感じたりするそうだ。
 心理学でいう「地位財」=他人との比較で満足が得られるものによる幸福は長続きしないとも。

 ただし、脳内物質は複雑に絡み合い、優先順位も個人差や文脈で変わる。エンドルフィンなども幸福に重要だ。

 「自分が幸せなのか自問する」というのは、動的な幸せ=目標や刺激が不足している、あるいは相対的な幸せ=他人との比較が頭をよぎった時のノイズ。

 「幸福かどうかわからない」と迷ったときは、友人と会ったり、少しの動的な幸せ(刺激・挑戦)をトッピングしていけばよい。親しい恋人や家族は重要な要素だが、経験済みで結果的に不幸になったこともあるし、何より今の自分にとっては、もはや不相応な贅沢だ。

 自分にとっての究極の幸せとは、心身の健康と経済的安定を前提とし、親友と趣味の知人を軸とした良好な人間関係による静的な安らぎと、日々の細やかな目標の達成と新たな経験値の獲得に向かって努力しているときの動的な高揚・没入感(フロー状態)の3本柱で形成される、バランスのとれたプラスの感情なのだろう。

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